野球に興味を持ちはじめた小学校の頃にファンになったプロ野球球団は東京ヤクルト・スワローズ。当時、それまで親会社だった産経新聞を離れ、ヤクルト・アトムズと称しておりました(1950年の創立時は、国鉄スワローズ)。

ファンになったのは、居住地と同じ区内を本拠地としていて、自転車で気軽に観戦しに行けたこと。それと、異常なまでのジャイアンツ・ファンであった父親と、異常なまでのテレビ・新聞のジャイアンツ一辺倒に対する反感でした。もう一つは、広島東洋カープのリーグ優勝の後、リーグ優勝をしていないセ・リーグ唯一のチームであって、なんとか成し遂げて欲しいとの願望から。それって、応援し甲斐があるってもんじゃないですか。子供なりの判官贔屓とも言えます。

ようやくファン歴10年目、1978年にリーグ初優勝、初日本一に。あれだけジャイアンツ一辺倒だった在京新聞社が伝えたスワローズ初優勝の記事はまことに痛快でした。
でも、その後巻き起こった球団内のゴタゴタはまことにいただけない。弱小球団経営の脆弱さが露骨に表面化してしまいました。悲しい限りです。子供の目にはどう映っていたのだろうか。あまり認識していなかったようで、記憶も感慨もなんもありません。
それから15年、ある監督とその弟子とも言える捕手の登場を待たなくてはなりませんでした。

さて、東京ヤクルト・スワローズがほぼその誕生から本拠地としている明治神宮野球場のことです。

明治神宮野球場は、明治神宮外苑にあります。野球場の所在地は東京都新宿区です。宗教法人である明治神宮が所有しております。

できたのは1926年(大正15年)10月23日。約100年になんなんとしています。創建当初より、東京都の大学や高校などの学生野球、都市対抗野球などのアマチュア野球によって利用されてきました。私の高校・大学時代は長くスワローズの低迷期にあり、神宮球場へは、出身高校の東京都予選、東京六大学野球のWK戦で訪れることが多かったかと思います(なぜか無料で観戦していた記憶があります)。
今年(2024年)の夏の甲子園東京都予選も、準決勝と決勝は神宮球場での開催です。私の出身高校は全国高校野球大会・西東京予選で決勝を闘いました。


明治神宮は宗教法人です。従いまして、その敷地は境内(明治神宮外苑は、飛地でもあるので境外とも)です。表現が適切ではないかもしれませんが、私有地です。ただ、この地域全体が明治神宮の所有かというと、そうでもなく例外はあり、やや複雑です。
東京オリンピックのメインスタジアムとなった国立競技場は、その名のとおり国の所有です。メイデイや蚤の市でも有名な明治公園は、都の所有ですね。国立競技場の建替えに合わせてリニューアルした都立明治公園は、集会には適さないレイアウト、車の乗り入れ不可の構造となりました。なんらかの都の意図があったのでしょうか。とにかく、メイデイも蚤の市もできそうにありませんね。


そういえば、球場の西側には「都営」団地がありましたよね。都営霞ヶ丘アパート。昭和のオリンピックにより立ち退きを強いられた方々の住宅としてはじまり、令和のオリンピックにより再び立ち退きを強いられ、有無をいわせず解体されました。都有地だったのでこんな乱暴なことが罷り通ったわけです。
そこに隣接している神宮外苑は公園みたいなものだし、野球場やラグビー場も公共施設みたいなものだし、東京都として国として大いに関わっていきましょう、とはならないんです。ましてや、反体制になるならなんでも利用してやろうっていうポンコツ政党様、自らの目と足で調べもしないで騒ぎ立てる国会議員様や地方議会議員様(今回の都知事候補様も)、美術館や歴史的遺産を傷つけておいて環境を守れと叫ぶ輩と根っこは同じな自然保護団体様、リベラルを履き違えた大手新聞社様が首を突っ込める案件ではなさそうです。議論は大いに結構ですが、そもそも間違ったところから振りかざす正義は、問題をややこしくするだけで、まったくもって迷惑です。

秩父宮ラグビー場を含めた神宮球場と神宮第二球場は、明治神宮の所有であり、「私有地」です。明治神宮は、これらの施設の使用料を収入源とし、その使い道の多くが、内苑、外苑の維持費になっていると言っておられます。宗教法人ということもあって、にわかには信じ難い面もあります。ただ、あれだけ広大な敷地なので、かなりの維持費が必要だということは想像できます。

野球場とラグビー場を、その使用を損なうことなく順次、解体と建設を進めていくという計画が発表され、すでに始まっております。甲子園球場に次ぐ歴史を持つ明治神宮野球場は、約一世紀を経て解体され、位置も変更されることが決定しております。何十年も慣れ親しんだ球場をその一部でもいいから遺していく、何十年もの未来に向かって新たに美しい球場が誕生する、どちらも賛成なんですが、なんかモヤモヤとしています。

現在、球場の北側にあった建国記念文庫とその周辺の森閑とした杜は、工事の手が入り、おそらく樹々が伐採されるのでしょう。計画では、まずここにラグビー場が建設され、現秩父宮ラグビー場の跡地に新たに野球場が建てられます。あれれ、ってことは、新しい神宮球場の所在地は、港区になるってことですか? そこにこだわる奴はあまりいないとは思いますが、きっかけのひとつだったもので気になってしまいました。


学生野球、アマチュア野球の一世紀にわたる聖地として、プロ野球の半世紀以上に及んだ本拠地として、今後もそれに相応しいスタジアムであって欲しいです。この球場が記憶している歓声とエール、歓喜と涙と汗のすべてが想起される装置としてあり続けてほしいと願っています。
ところで、2024年夏の甲子園予選、西東京大会決勝は私の母校が駒を進め、一進一退の手に汗握る炎天下の激闘を制して優勝しました。久々、この慣れ親しんだ球場を訪れました。日曜日ということもあって神宮球場は満員、内野席は完売。試合開始30分後に到着した頃には外野席もほぼ満席でした。

誕生からおよそ一世紀、古めかしくて細部の老朽化を否応なく感じはしますが、なんか嫌ではありません。なんかいいんです。うまく説明できない良さがあります。
何年振りでしょう、高らかに校歌を歌ったのは。高歌放吟。いいものです。神宮の杜で。