美化された記憶というのがあります。その時、実際にあった出来事をめっちゃいい話にして、心にしまい込んでおきたい気持ちがあるわけです。あれやこれや都合のいいこと、感動を沸き起こすように足されたこと、本当に見たり聞いたりしたか定かでないこと、などが実際にあった過去の事実の映像にキラキラと振り掛けられて出来上がるわけです。それを昔の仲間と話して共有し盛り上がると、さらに肥大化していくわけです。最高に幸せなひとときであります。ドーパミン出まくりです。

ところが、これを初見の人に話しだすと事態はいいばかりじゃないわけです。皆さんも、しばしば他人のこんな迷惑な長話に遭遇したりしますよね。

さて、そんな美化された少年時代のお話です。新宿区の北西部に西落合という町があります。ところで新宿区だけの地図を見たことってありますか?

新宿区地図。左上部分が西落合。

こんな形をしているんです。なんか犬の形をしてるでしょ? テリアというか、ビーグルというか。どうです?見えてきたでしょ? その、左側の犬の顔。そのまた鼻の部分。そこが、西落合です。鼻の部分は、西落合3丁目と4丁目。開校して間もない(10数年だったかな?)落合第6小学校の通学区域です(一部、1丁目と2丁目も含まれていました)。団塊の世代に対応するために新設した小学校ですが、僕らの時代は落ち着いていたわけで、2クラスあって、1クラスは30人強でした。

高度成長期世代後半に属する僕たちは、先輩達である団塊の世代がやりたい放題やってきて荒らされまくった道を、注意しながら、自分達なりに修正しながら前に進んでいきました。ぺんぺん草も生えない道ではありましたが、悪いことばかりじゃありません。急に減った学童に手厚い教育が提供されることになりました。学校や行政の施設にしろ、民間のものにしろ、さまざまなサービスを我先にと焦ることもなく享受することができたのです。学生運動も、思想や歴史・文化の認識と把握、教育、政治に至るあらゆることを、先輩達は、身をもってぶちあたってきてくれました。僕らは、彼らの成果のいいところだけいただいて、上手く立ち回ることができました。ぺんぺん草よりも有益で大事なことです、当たり前です。

さて、僕らの小学校6年生の夏は、熱かった。

新宿区の北西部、落合地区には6校の小学校があります。落合第1から第6小学校。

西落合球場

西落合の妙正寺川沿いの河川敷に西落合球場が、整えられておりました。これも、団塊の世代が残してくれた遺産の一つです。ここで、毎年夏に落合地区の小学校生徒による少年野球大会が開催されていました。

落6小の僕たちも参加しようということに。急拵えです。とりあえず、お小遣いを出し合って、マークを縫い込んだ帽子だけを統一しました。ヴィクトリー、Vマークです。体育の赤白帽子(当然、白側)に無理やりつけたやつもいた記憶があります。ユニフォームは体操服。靴も普段履き。大人の介入も拒否して、自分たちで運営しました。落合第3小学校のチームは、綺麗なユニフォームで統一され、商店街のおっちゃん達おばちゃん達が全面サポート。羨ましくはないけど、なんかなぁ?それってどうなのぉ?とは感じていました。小学生の時から、世の中を斜にみていたみたいです。

生意気にスコアブックもつけていました。

その場その時に才能を見せるやつというものは現れるもので、野球の才能はなくてもこれができるあれができるって奴がいて、結構いい感じに進んでいきました。エントリーを済ませ、練習試合をこなしていき、岩崎くんという逸材のおかげもありいい仕上がりで大会を迎えました。

第11回落合少年野球大会。初戦、統一ユニフォームに身を包み商店街の大応援団つきの落合第3小学校「シルバーフォックス」。ところが、岩崎くんが利き腕を負傷、2番手荻野くん、3番手僕(4者連続四球死球!)がことごとく打たれ、敗退。ただ、ベスト4のチームに惜敗したチームを救う敗者復活戦に進めた僕らは、岩崎くんを大事な数イニングに絞った起用方法で勝ち進んでいきました。ま、そのあとは、よくドラマでもあるように初戦の相手との決勝戦となったわけです。ここんところは、美化でもなんでもありません。ほぼ完全復活を遂げて気を吐く岩崎くんが完璧な投球で抑え込み、優勝しました。

優勝盾!ちゃちい!ただ優勝チーム名を記した優勝旗があり、落6小のどこかに(校長室?教員室?)1年間飾られていました。
稚拙な文字で「少年野球大会優勝チームと。

ユニフォームも親の援助も応援団も当然お金もない僕らが優勝したことを、快く思わない奴ら(大人や他校生徒)もいたらしく、背後で怪しい動きがあったみたいという話を、後になって聞きました。いつの時代にもこんな輩は蠢いているんですね。でも、それを抑止してくれる理性ある大人もまた現れるわけです。僕たちのこの優勝という出来事は、数年間伝説のように語られていたらしいです。らしいというのは、僕は中学受験をする決断をし、地元の中学には進学しませんでした。その理由の一つが、何よりも商店街系の奴らと一緒になりたくなかったし、今受けられるより良い学校教育現場に身を置きたかったのです。そのため地元の話、噂にはとんと触れなくなってしまったわけです。

過去の出来事を美化することは、自己肯定感を高めることであり、昂揚した仲間たちと過ごした貴重な記憶を上書きしていく作業(保存)なのでしょう。おそらくは、感動を呼ぶドラマや映画は、多くが美化した記憶に基づいたものなのではないでしょうか? 大いに美化し、大袈裟にし、過大演出しちゃいましょう!

これも後から聞いた話ですが、僕らの試合を何度か僕の父が観に来ていたそうです。バックネットを写した写真を誰かから見せられたのですが、確かにうちの親父がいました。わざわざ仕事を抜け出して観戦しにきたようです。さっそく記憶の上書き保存です。そこには「美化」も当然。目頭がちょっと熱くなって、僕だけのドラマへと。

親父はここをよじ登って観戦していた?

投稿者

carrera

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