十代のある時期、自分は無敵なんじゃないかって思っちゃうことってありませんでした? 

いわゆる万能感っていうやつ。

昭和の牧歌的な時代の私立男子校では、陰湿ないじめとは無縁だったせいか、個性たっぷりにわがまま放題に振る舞うことに実に寛容でありました。「普通」な奴が少数派「変」な奴だらけ。生徒間の「おおっぴらな」暴力沙汰(!)や教師による愛ある(?)体罰はありましたけどね。

ことの詳しい経緯は失念しましたが、高校1年生の時、クラス費として各組で自由に使えるお金がありました。学級会で議論の末、クラスの雑誌を作ってみたらどう?っていう私の提案がなぜか多数決で支持されました。まあ、個性的な面々の方々は自分のことで手一杯。基本面倒くさいことに関わりたくないし、お前たちで勝手にやってくれるんならいいよ、というのが大方の気持ちだったとは思います。

私的な文章だらけになるのが予想されたこともあり、私は中学以来の友人とともに早稲田通り沿いの古書店を全軒めぐり、詳細なリストとレポートを作成することにしました。当時の店舗数は28軒。放課後、数日間何時間かかけて、店主の話を聞いたりして取材してまわりました。

インド大使公邸の斜向かいの一軒(多分、平野書店)、その陳列棚の最上部にそれはありました。文字通り鱗粉を撒き散らして。全5冊のセット、ひとまとめの函におさめられていました。1万円。気がついたら、店主にお願いして年明けまで押さえておいていただくよう頭をさげていました。冬休みのバイト代をあてにしてのことです。

さて、それと並行して原稿集め、取材、編集、印刷製本作業をクラスの有志数人の協力を得てなんだかんだあった末、なんとかクラス全員への配布まで漕ぎ着けました。

タイトルは「ぶつが(物我)」。外界のすべてのものと自分、客観と主観。不遜です。

予算のせいもあり印刷のクオリティーはいまいちでしたが、終わってみれば企画当初のイメージに近いものが完成しました。

なんか楽しいじゃん、結構ちょろいじゃん、今思えばこれまた不遜なことを口にしていました。

そうそう、一緒に古書店リストを作ったあの友人と久しぶりに会いました。気の弱い協調性のない何考えてるか分かりにくい変人同士、世が世ならいじめのターゲットにぴったりなふたりです。ちょうど半世紀が経った昨年の初冬、懐かしの早稲田通り古書店巡りをしました。シャッターが下りていて営業しているかどうかの確認はできていないお店も含め、現存している店舗は12軒。半分以下になっておりました。神田神保町の古書店街と比較してしまうと何とも寂しい限りです。

懐かしついでに、母校(現在は移転し、跡地)の近くにある創業1958年の老舗ラーメン店「メルシー」で名物のタンメンを注文。ぺろっといただいちゃいました。そうそう、この脂っぽいところ、美味かった。まだ大丈夫、老け込んでないぞ。

「チボー家の人々」全5冊、ロジェ•マルタン•デュ•ガール著、山内義雄訳、白水社刊。年が明けた始業式とかなんだかんだを終え、すぐさま書店へ。店主は約束通り売約済みの札を貼っておいてくれました。その日から春休みまで、かかりきりで読みすすめました。膨大な登場人物の関係図を作成しながらのまさに格闘でした。

その年の学年末試験では、特に理数系で散々な成績を収めることは明らかでした。

高1の学級担任(数学担当)はおそらくこのクラス雑誌企画を強引に進めたのが気に食わなかったのか、かなり嫌われていたと、拾ってくれた高2の時の学級担任が後におしえてくれました。

意に沿わぬものにはいっさい目もくれず、不遜の極みです。無敵のスターモード中で怖いもの知らずの私は無邪気な笑顔で進級しました。

投稿者

carrera

無敵のスター状態にあった十代の一時期件のコメント

  1. やはり…生まれつきの物書きなのですね。。。。。

    やんちゃな時代から 目的を果すためならば 徹底的に調べ上げ書いて残すこと。時を経て 就職…生来の地頭の良さと性格が見事なまで活かされた人生を過ごされたのでしょうね。
    しかも 当時の資料を今でも大切にされているあたり……
    人の質を感じさせられます。

    旧友とのお花見は如何でしたか?
    きっとその当時を沢山語り合えたことでしょう。
    花より団子不成 花よりそんな時間を一緒に過ごした旧友……といったところでしょうか😊 

    今回も 新しいあなたを知る事ができた とても楽しい文面でした。

    次回も楽しみです。🌜

    智子

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