1960年代から70年代を華麗に駆け抜けた歌姫、ザ・ピーナッツ。その全盛期を目にしたことはありませんでしたが、のちにさまざまなメディアで取り上げられていたのを記憶しています。

量産型アイドルが登場してくる以前の歌謡界は、演歌やその影響を色濃く受けた歌謡曲と吉永小百合さんや江利チエミさんに代表される映画スター出身の実力派が歌った劇中曲が主でした。そんな潮流にあって、映画界でもなく演歌界でもなく王道の歌謡界でもない双子のデュオが突如登場しました。

洋楽の影響をもろに受けた楽曲、やや格落ちと見られていたテレビへの積極的な露出、今では当たり前のバラエティー番組への出演。双子デュオを売り出そうとしていた有名芸能事務所の戦略が見事にハマったわけです。「身近なアイドル」の登場です。

宮川泰さんという稀代の音楽家が、ザ・ピーナッツをプロデュースしました。彼のキャリアの始まりでもありました。そっくりで可憐な双子のデュオ、可愛いいルックス、何よりも二人揃っての素晴らしい歌唱力、スターになる資質は充分でした。たちまち、当時の歌謡界のトップにたっておりました。

テレビでも実際に目にしたこともなく、何の知識も思い入れもなかった私ですが、ネット検索中にザ・ピーナッツに引っかかりました(表現が良くない?)。正直言いまして、私は一部のシティーポップや海外進出したロック・グループを除いて、日本の歌謡界の知識はほぼありませんし、まともに聞いたこともありません。無理やり拉致(⁉︎)されて入った以外、カラオケにも行ったことがありません。

そんな私が、ザ・ピーナッツのページに目を奪われたのは、「エピタフ(Epitaph)」という曲名。「墓碑銘」。

1960年代末、イギリスのロックシーンにキング・クリムゾンというバンドがデビューしました。いわゆる、プログレッシブ・ロックの祖とも呼ばれたグループです。そのデビュー・アルバム(これがデビュー作‼︎)「クリムゾン・キングの宮殿」(1969年発表)におさめられた美しい曲が「エピタフ」。幻想的な世界観、叙情的なメロディ、今でも朽ちることない名曲です。

ザ・ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に頭をぶちのめされたイギリスのロック小僧たちは、自らの音楽的指向を自由なアルバム作りをすることで表現しはじめました。そのひとつのシーンがアルバム全体を貫くテーマのもと制作され、かつ高度な演奏技術に裏打ちされたプログレッシブ・ロックの誕生だったわけです。1972年から73年にプログレの頂点ともいう時代を迎え、今でも燦然と輝く名盤が発表されました。世界で最も長い間チャート・インし続けているあのアルバム「狂気」も、、、放っておくといつまでも喋ってしまいます。

ほぼ英米のハード・ロックとプログレッシブ・ロックにやられまくりの10代でした。特に音楽的完成度の高いイギリスのプログレはヤバかった。

高校の後輩にとんでもないヤツがいました。学園祭で彼のバンドが、特に彼のシンセサイザー演奏がほぼプロレベル。しかもなかなかのルックス。披露したのがプログレの曲。ピンク・フロイドかエマーソン・レイク&パーマーだったかと思います。感動するより、打ちのめされました。それが後のTKです。

さて、ザ・ピーナッツの「エピタフ」。

「ザ・ピーナッツ オン・ステージ」というアルバムに収録されています。彼女たちの現役中に唯一発表されたライブ・アルバム。最新のオリジナル「さよならは突然に」をリリースした直後に発売されました。

1972年8月、厚生年金ホールと文京公会堂にて収録とあります。

デビュー13年目、ベテランの域に達しつつある彼女たちの素晴らしいパフォーマンスです。これまでのヒット曲、オリジナル曲、十八番にしている洋楽のカバーなどに混じって、唐突に「エピタフ」。美しい曲ではありますが、静かに淡々としたメロディーと沈鬱な詩の世界観。メロトロンが時代を感じさせますが、重厚で卓越した演奏。そこに、何故か演歌や歌謡曲にも通じるかのような歌唱。

このコンサートも宮川泰さんのプロデュースとのクレジットがあります。1971年のユーライア・ヒープ「対自核」も披露されています。こちらはハード・ロックの草分け的存在。彼の意向なのか、彼女らの好みなのか?

ともあれ、ザ・ピーナッツの二人は見事なライブ・パフォーマンスを披露しております。

ヒット曲のオンパレードを期待して会場に詰めかけたファンの方々は、たいへんに面食らったことでしょう。この曲をご存知の方も極めて少なかったと思われます。叙情的なメロディを歌いあげていることもあって、会場はとても静かです。みなさんはどう感じていたことでしょう。

「ザ・ピーナッツ オン・ステージ」は、CDにて入手が可能です。

ちなみにこの「エピタフ」、調べてみたら、1974年にフォーリーブスの北公次さん(日本語の歌詞で歌われています)、1979年には西城秀樹さん(雷鳴轟く後楽園球場での伝説のコンサート)がライブでパフォーマンスしています。歌唱力、表現力が高いシンガーばかりですね。