終戦の日。この日をどのように思い、過ごすのか。なんか、人として日本人としての品位を問われている気がするのは、考えすぎなのでしょうか。

就職した会社は、千代田区の北側に位置しており、皇居北の丸の近くでありました。入社した一年目は、これまでの牧歌的な学生気分の思考と習慣が日々一つ一つ打ちのめされていく毎日でありました。経験と実績からものを言う先輩たちの一言一言で、これまでのふわふわした常識を疑う毎日でした。
出版社の夏休みは自らの仕事の都合に合わせて各々バラバラに取得します。それでもお盆の時期は関連の会社が休みに入るため、先輩たちの多くは休暇を取り、社内は比較的ゆったりした感じになります。私は帰省をする必要がないこともあり、入社一年目からお盆休みは取ったことがありません。ゆったりとしたこの時期の出社は好きです。ゆるい勤務をいいことに、ちょっと長めの昼休憩をとり気ままなひとり散歩を愉しむことができました。
九段坂。かつて舗装がされていなかった時代、少しの雨でも泥濘んで通行もままならないとまで言われた坂を上がります。途中、各時代の歴史的な建造物などが目に入ってきます。そして、北の丸公園をのぞむ内堀沿いの小径に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑があらわれてきます。なぜか入社一年目の8月15日、ここまで足を伸ばしておりました。墓苑内はいくつかの行事が終わった時刻でした。

実にシンプルな施設です。大きな棺と献花台。楠と欅の杜。葉音と木漏れ日と蝉の声。黙して玉砂利を踏み締める人々の姿。その気はなくとも厳粛な気持ちになってきます。37万柱を前にすれば自ずと深く頭は垂れます。

内堀沿いに桜木の小径を戻り、通りを渡るとそこは靖國神社。第一鳥居(耐候性鋼鈑)をくぐり真っ直ぐ東西に400メートルの参道がのびています。若干の起伏をもたせたつくりになっていて、ここからは本殿はおろか第二鳥居すら見えません。鳥居と林、夏の青空、美しい。第二鳥居(青銅)、神門(菊の御紋が美しい)、中門鳥居(檜)を経て、ようやく拝殿です。残暑の頃とはいえ陽射しは強く、もう汗だくです。この真っ直ぐの参道を進むうちに、千鳥ヶ淵戦没者墓苑とはまた異なる厳かな気(け)のなかに包まれていきます。ここには246万余柱の御霊が祀られているのですから。幕末から大東亜戦争、祖国に殉じられた尊い方々、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」(靖國神社の公式サイトより)が祀られています。

ここは神道の神社。日本人なら常識ですが、霊園ではなく、墓碑も位牌もありません。ただ御霊があるのみ、思いがあるのみ。

終戦の日の思いつきの昼休憩は、なぜか祈りを捧げる散歩になりました。以後、この参詣は毎年続けていくことになります。

歩きながら考えていたことのひとつなんですが、そもそも靖國神社が問題視され、近隣諸国からやいのやいの言われ出したのは、なぜなんでしょう。どうもこれもまたあのリベラルを標榜しておられる大手新聞社さんが仕掛けたんです。吉田清治何某の嘘八百のいい加減な著作を殊更取り上げて一大キャンペーンを張ったあの新聞社さんです。福島第一原発事故をめぐる誤報、いわゆる「吉田調書報道取り消し」のあの新聞社さんです。パリの街並みが、旭日旗に見えると大真面目に騒ぐどこかの国の方々から、ほぼ旭日旗そのものに見えるその社旗をなぜかスルーしてもらってる新聞社さんです。世界中で旭日旗ほど美しい旗はないと思うので、スルーして当然ではあります。

1985年夏、それは唐突に始まりました。中曽根首相の公式参拝。「中国、日本的愛国心を問題視」という記事。ある新聞社と野党が、単なる政府批判のひとつとして取り上げたことにはじまります。それを肥大化させるために、近隣諸国を巻き込んだキャンペーンに仕立て上げたわけです。その後のいわゆる反日キャンペーンの始まりと言えます。近隣諸国の反日キャンペーンの出所の多くが、この新聞社発信です。日本の大手新聞社が日本を貶めるとは、理解に苦しみます。近隣2カ国にとって、魔法のポケットから大金をせしめるいい方法を提供したわけです。もはや、他国のお抱えメディア。旭日旗排斥からお目溢しされているのも納得です。
実は私は学生時代から今に至るもどちらかといえば左派傾向気味であります。リベラル、反体制・反権力って若い時期に罹患する病のひとつです。でも、なんか腹に落ちないところがありました。この国のリベラルを表明する文化人(?)、メディアの多くが日本の利益にならないことをほじくり返して攻撃して体制批判に繋げるって手法をよく使います。リベラル、反体制、反権力って、決して日本を日本人を日本の歴史を日本の文化を貶めることではないはずですよね。真のリベラルがなんだかはきちんと理解はしていませんけど、少なくとも自国のことを悪く言い、都合のいい何者(例えば近隣諸国)かに媚びへつらって得られるものではないはずです。先進諸国のリベラルは、愛国者でもあるようです。日本ではなぜか愛国者は極右で、あまり良いイメージがないようです。自国の文化、歴史に誇りを持つことは愛国ですよね。堂々と愛国者だと言える日本であってほしいものです。

今年もまた、閣僚の誰それが参拝に来た、玉串料がどうたらこうたら、それ、もはやパフォーマンスなんじゃありません。だってさ、祈りって、私的も公式もないじゃん。政教分離ってそういうことじゃないじゃんさ。政治家さんはお墓参りしちゃいけないの? クリスチャンやイスラムの政治家さんは教会に行っちゃいけないの? 諸外国の政教分離って、簡単に言えば権力とか権威とかと結びついちゃうことを畏れることにあります。

それから、靖國神社参拝についてご丁寧にいちいち声明をお出しになるどこかのお国も、それを日本のメディアがきちんと拾ってくれるとわかっているのです。お国の民に向けたものでは決してないんです。日本のメディアの皆さん、いっそ、そんなつまらないこと、取り上げるのをやめにしませんこと。もっと大事なことがたくさんあるでしょ?
九段界隈を、孤独な散歩者は、今年もまた夢想しつつ徘徊し続けました。