「エブリバディ・ニーズ・ア・フレンド」 ウィッシュボーン・アッシュ
Wishbone Ash “Everybody Needs a Friend”
その曲は、ゆっくりなんだけど力強い意志を感じる2台のギターが、それぞれ左右のスピーカーから聴こえてきます。美しいフレーズを奏でるツイン・リードギター。そこへ、これまた美しくも憂いを帯びた理知的で伸びのある高音のヴォーカルが。
その曲は、あいつが乗り回していたコロナ・マークⅡで初めて聴きました。レコード(!)からダビング(‼︎)したカセットテープ(!!!)で。
その頃あいつのいちばんのお気に入りの曲で、リピート再生して聴かされたものです。もともと8分以上の長尺の曲で、曲構成も細部まで練られているので何度繰り返し聴いても飽きることがありません。
ところで、あいつは片道2時間もかけてよく私の実家にやってきました。親の車で。
書棚を漁り、レコードを物色し、腹が減ったと母の用意した夕飯まで。
トヨペット・コロナ・マークⅡ、2ドアハードトップ 2000GSS、RX22型、2代目マークⅡ、(1972年1月発売開始〜1976年)

この車のリア・ビューがとても好みでした。

あいつが乗り回していたマークⅡは、日本でようやく登場し始めたオートマチック車でした。
2時間もかけてやってきておきながら、帰りに私に運転させてあいつの実家に戻ります。今思い返すと、なんで?と疑問でなりません。ドライブしたいってだけで、ただただそんな時間を慈しんでいるらしく、なぜかお互い心地よい気持ちになっていました。
クルマは、ある種特殊な距離感を作る装置です。一人は緊張感のなか作業をこなし、一人はリラックスしている。手を伸ばせば触れる近さでありながらも同じ方向を向いていて、特段目を合わすことはないという。お付き合いし始めた若いカップルなら、理屈を超えた時間と空間に投げ込まれたようなものでしょうけど。
あいつと私は、たまに、とりとめのないつまらないやりとりをするのみ。特に何かについて話すわけでもなく。沈黙が少しも苦にならず。ふんわりとした空間の中にいました。ただひとつ気に入らないのは、思い出したように時折、人の運転にケチをつけてくる。クラッチを操作して速度調整をするマニュアル車の運転に慣れているせいで、右足のみの操作に不安がありました。ついついアクセルを離した右足が制動装置の上でフラフラする。それをあいつは面白がる。慣れない土地を走行中に急なナビをして、慌てるところをたのしむ。走り出しの鈍さに難癖つける。
二人でそれを嗤う。なんかふわふわ。
そんな車内に、この曲が。
その数年後、あいつがよく着ていたカシミヤのセーターと、このウィッシュボーン・アッシュのLPレコードを形見分けとしてお母様からいただきました。それが、

「Wishbone Four」(1973年)。
名盤との評価が高い前作「Argus」の翌年に発表。セールス的には前作に及ばず、メンバー間のゴタゴタを招きます。
この曲が、ヴォーカルもツインギターも慟哭としか聞こえない時期がありました。正直、今でも。よく、俳優やタレントの特技としてどれくらいで泣くことができますか?って言うのがありますけど、この曲を聴けばものの10秒でボロボロ泣けます。電車や車の運転中に聴くと大変まずいことになります。
ちなみに、アルバム「Argus」の最後の曲、
“Throw Down the Sword”もヴォーカルが終わった曲の後半、ツインギターとベースが泣かせてくれます。美しい慟哭の調べです。

メンバーのひとりで、”Everybody Needs a Friend”の作詞をしたベースのマーティン・ターナーさんが、最近この曲を演奏した映像を披露しておりました。発表から、50年。かなり思い入れがあるのでしょうね。日本でも、コマーシャルやテレビドラマの主題歌とかに使われたりしたら、評判になるのではないかとずっと以前から思っております。
