The year 2024 was Annus horribilis
The year 2025 will be Annus Mirabilis
Annus horribilis(アナス・ホリビリス)は、「ひどい年」あるいは「恐怖の年」を意味するラテン語。これは「素晴しい年」、「驚くべき年」を意味するAnnus Mirabilis(アナス・ミラビリス)と対になっています。
エリザベス2世の1992年を振り返るスピーチでの表現が有名。これは1666年の出来事に関するジョン・ドライデンの詩『驚異の年』 の表現との対句とされます。

「浅瀬に仇波」(古今和歌集)
思慮に浅く、想像力に欠けた者ほど騒ぎ立てることが多いことをいいます。人の身に起きたことへの心配りや繊細な配慮をすることなく、自分の尺度のみで蒙昧にただただ騒ぎ立てることですね。挙句「なんでこんな大事なことを言わないでいたの!」「心配して何が悪いのよ!」などと怒られたりします。「黙ってられるのがストレスなんだけど!」などと理不尽なことまで言われます。労られる側のはずなのに。心穏やかに、静かに事態に向き合いたいだけなんです。ひいては、その心の平安こそが早期回復にもつながるわけなのですが、なぜかそれが想像できずに無闇に波を立てます。
無知は時に自分を傷つけるだけですむけれど、想像力の欠如は総じて他人をも傷つける
想像力の欠如は影響が他に及ぶことで、無知よりも厄介である
無知の自覚がない上に他人への想像力に欠く、そこから湧き上がる一方的な正義感。そして生まれる自分本位の言動と行動。
まず、何よりも尊重されるべきは何か?を想像するより、手前の尺度が最優先なんですね。
他山の石以て玉を攻むべし(四書五経、攻玉社の由来)
様々な基本常識に欠けていることを、ただ単にそのことに興味がないだけという理由で無視し避けて通り、その場をやり過ごす。無知を恥じ、学ぶべきであることすら思い至らない。
無知の無自覚はおろか、その薄っぺらな知識に基づく自分勝手な正義感を振り回し出したらもはや無敵ですよ。
身勝手な価値観に基づいた選民思想。周りの人を(それが血縁であろうと)自らよりも価値のないもののように見、振る舞う。
まあ、下等な年金生活者のことなど、歯牙にも掛けないのでしょうけど、より良き年となるよう願うべく、年の初めにちと愚痴ってみました。そもそも、無知で想像力に欠け読解力に難がある方々には、こんな愚痴も無意味なのでしょうけどね。
でも、まあ、とりあえず、
今年は『ビバ!』さ、オレ!

